なぜ私は、Namikoshi Shiatsu MéxicoとShiatsu Educationを分けたのか

私がNamikoshi Shiatsu México A.C.を設立したのは2008年です。
その前年の2007年、日本指圧専門学校を卒業してメキシコへ移り、現地で指圧の施術と指導を始めました。
2009年には、日本指圧専門学校から一通の証明書をいただきました。
そこには、私が同校を卒業し、Namikoshi Shiatsu México A.C.の代表として、メキシコにおいて浪越指圧の指導・普及活動を行っていることが記されています。
当時の私にとって、とても大切な証明書でした。
しかし、この証明書の意味を本当に考えるようになったのは、それから長い年月が経ってからでした。
指圧を続けながら、私は指圧以外からも学んできた
日本指圧専門学校を卒業したあとも、私は臨床を続けながら学習を続けてきました。
解剖学を学び、さまざまな手技療法に触れ、臨床で患者さんの身体を観察しながら、多くの経験を積んできました。
さらに、施術技術を持っていることと、それを人に教える能力は別のものであると考えるようになり、2025年には東京医療福祉専門学校のあん摩マッサージ指圧師教員養成科で教育について学びました。
こうした学びは、私自身の臨床や教育を発展させるうえで大切なものでした。
しかし、長く指導を続ける中で、一つの問題を感じるようになりました。
「いま私が教えているものの、どこまでが日本指圧専門学校で学んだ浪越指圧で、どこからが、その後に私自身が学び、経験し、考えてきたものなのか。」
年月を重ねるほど、私自身の経験や他の分野から得た知識が増えていきます。
それらを浪越指圧の教育の中に無意識に混ぜてしまえば、やがて、私自身が学んだものと、私が後から加えたものとの境界が分からなくなってしまいます。
2009年の証明書を、もう一度読み返す
そのような中で、2009年に日本指圧専門学校からいただいた証明書を改めて読み返しました。
そこに書かれていたのは、私が日本指圧専門学校を卒業し、メキシコで浪越指圧の指導と普及活動を行っている人物であるということでした。
私がその後に学んだ考え方や、長年の臨床から発展させてきた教育内容までを、日本指圧専門学校が認めたという意味ではありません。
この当たり前ともいえる区別が、私にとって重要な意味を持つようになりました。
浪越指圧として伝えるのであれば、私が日本指圧専門学校で学んだものを、できる限りそのまま伝える。
そして、その後に私自身が学び、臨床の中で考え、発展させてきたものは、私自身の責任で伝える。
そのために、教育の場所を明確に分けることにしました。
Namikoshi Shiatsu México A.C.とShiatsu Education
現在、**Namikoshi Shiatsu México A.C.(NSM)**では、日本指圧専門学校で学んだ浪越指圧の基礎を伝えることを教育の中心に置いています。
一方、Hideo Asada | Shiatsu Educationでは、長年の臨床経験、その後の学習、そして教育について学んできたことをもとに、観察、仮説、介入、再評価という臨床での思考を含め、私自身が現在考えていることを扱います。
これは、どちらか一方を否定するための区別ではありません。
受け継いだものと、自分自身がその後に積み重ねてきたものを、正直に区別して伝えるためです。
そのため、私自身も発信する内容によって立場を区別しています。
日本指圧専門学校で学んだ浪越指圧や、NSMとして行っているその教育・普及について伝える場合には、Namikoshi Shiatsu México A.C.会長として発信します。
一方、私自身の臨床経験から生まれた考え方や、その後に学んだ知識、臨床における観察や思考について発信する場合には、El Bosque de ShiatsuやHideo Asada | Shiatsu Educationとして伝えています。
同じ浅田秀男が話していても、何を根拠として話しているのかを曖昧にしないためです。
2009年にいただいた一枚の証明書は、年月を経て、私にこの境界をもう一度考えさせるきっかけとなりました。
私にとって「何も足さず、何も引かず」ということは、学ぶことをやめるという意味ではありません。
受け継いだものは受け継いだものとして正確に伝え、自分がその後に学び、考えたものは、自分自身の責任で伝える。
それが、現在の私がNSMとShiatsu Educationを分けている理由です。
Shiatsu248
浅田秀男(Hideo Asada))


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